今回のオバマ大統領による広島演説は日本政府にとってサプライズでした。演説が大幅に長くなることが政府に知らされたのは本当に直前の直前だったようです。あらかじめ本当のことを知らせておくより、NHKをはじめメディアには「プラハ演説よりかなり短い数分間の所感を述べる程度」としておくことで、良い意味でのサプライズを日本に与えようとしたのでしょう。
他にもオバマ大統領が、「少し助けを借りたものの自分で折った」という折り鶴を原爆資料館の中で小学生に手渡していたのもサプライズです。
原爆資料館の中にはカメラの立ち入りが許されませんでしたので具体的な映像は残っていません。オバマ大統領の表情を知るのは安倍首相と岸田外務大臣、内部にいた小学生など一部の人だけです。
原爆資料館の展示物をみながら説明を受けるオバマ大統領の表情が写真として撮られてしまうとその表情が世界中に報道されて米国が「贖罪意識をもっている」と受け取られかねないという懸念から米国の要請でカメラが立入禁止になりました。
この原爆資料館訪問そのものでさえ当初は米国が猛烈に反対していました。
そして演説は行わず数分間程度の「所感」を述べるだけで終わるはずだったのです。
このようななんとしてでも、「広島訪問の内容を薄めたい」どころか訪問自体ににすら反対していたのは対日強硬派のライス補佐官です。
ですが結果的には原爆資料館を「撮影なし」という条件付きで訪問し、数分間程度のはずだった「所感」が17分にものぼる「演説」になりました。
これはオバマ大統領とライス補佐官の「綱引き」です。
2014年にオバマ大統領一行が来日したときにもライス補佐官は同行していました。
「まずコメを含めた日本の農業品目の関税をすべて撤廃。日本が求める自動車関税の議論はその次。」
というのを徹底していました。これに菅官房長官や甘利大臣は猛反発し紛糾しました。
そして日米首脳会談が行われた2014年4月24日当日中に出すはずだった共同声明が、TPP交渉を25日朝まで夜間ぶっ通しでやっていたため先延ばしされ、「25日になるまで共同声明を出さない」と米国が異様な要求を突き付けていたのです。
よって2014年の首脳会談は非常にギスギスしており、オバマ大統領は明治神宮に行ったものの安倍首相は同行しませんでした。
さらにこのときはじめてオバマ大統領から「尖閣は日米安保の適用範囲内」という言質を共同声明時に引き出しましたが、
記者からオバマ大統領に「尖閣のレッドゾーンは具体的に何か?」ときかれたところ「レッドゾーンはありません」と答える始末でした。
ですが2015年にAIIB問題が起こります。AIIBに強く反発する米国は2015年の日米首脳会談から大きく流れが変わり、ライス補佐官の安全保障上の発言力が弱まりました。
現在の米軍太平洋艦隊司令官は「東シナ海、南シナ海には日本フィリピンベトナム台湾のために米軍は必ず参戦する」と言っているのに加えて、驚いたのは今回の伊勢志摩サミットにあわせて米国のカーター国防長官がChinaという名指しを22回使って猛烈に批判を公言しました。
そしてオバマ大統領の広島訪問の最後、広島の原爆ドームの説明を岸田外務大臣から受けた後に、その場で大統領専用車が到着しオバマ大統領は帰路につくため乗り込みました。そのとき一緒に乗り込んだのはキャロライン・ケネディ駐日大使とライス補佐官です。ケネディ大使は原爆ドーム側から乗り込んだためカメラに表情は写っていませんが、ライス補佐官は大統領専用車の手前(カメラが撮影している側)から乗り込んだため、車のドアが閉められるまでの表情が鮮明に写っていますが、終始不機嫌な表情でした。
そもそも大統領の広島訪問自体に反対していたのにもかかわらず、20分台だったプラハ演説並みの17分という長い演説や原爆資料館の訪問までするなど、ことごとくライス補佐官の意に反した結果になったのがおもしろくなかったのでしょう。
今回のオバマ大統領の広島訪問を含めて、元を正せばオバマ大統領が軍事戦略上の「日本の地理的な重要性にようやく気づいた」というのが全てです。
2009年の就任から2015年まで6年、合計任期8年のうち6年経過した7年目に気づくのは遅すぎたと思いますが、トランプ候補もまた同じです。理解するまでに何年かかるかによって日本の経済が冷遇される期間が変わります。