野中広務に比べて岡崎トミ子死去が全く話題にもされなかったのは左翼が嫌がっていたから

2018年1月26日に、自民党の党員である野中広務氏が死去しました。彼は国会議員はとうの昔に引退しており自民党の党員でもありませんでしたが、2016年に復党が認められ自民党の党員になっていました。

彼は92歳という高齢のため、「死んでも別に驚かない」「高齢だから政治的発言力には期待できない」という点で左翼が嫌がることのない死去です。

一方で、民主党の岡崎トミ子死去は非常に左翼陣営が嫌がっていた訃報でした。

2017年3月に岡崎トミ子が死亡していたことを知らない人は意外と多いはずです。

なぜならマスメディアがこの訃報を黙殺しほぼ全く報じていなかったからです。

岡崎トミ子は2013年参院選で落選しましたが、その後も2016年まで地盤の宮城県で要職を務めていました。

2013年の参院選で岡崎トミ子は当時のみんなの党から出馬していた和田政宗氏(現在は自民党議員)に敗れたわけですが、そのとき朝日新聞は「民主党の顔とも言える人物が議席を失った」と岡崎トミ子落選を惜しむ記事を大々的に掲載していました。

当然、岡崎トミ子の政界復帰を期待する声が左翼陣営に強くありました。

彼女はまだ落選時に60代で、これからまだ国会議員に復帰する道はあったからです。

しかしたった73歳という若さで岡崎トミ子は死亡しました。

これは左翼陣営にとって「非常に大きな損失」だったので、保守陣営から「他人の不幸は蜜の味」という扱いをされたくなかった左翼はこれをできるだけ扱わないようにしていました。

しかし野中広務は既に92歳。既に政治的調整能力が野中広務にはなかったので、左翼陣営にとって失うものはありません。そのため遠慮なく大きく報道されています。

野中広務は小沢一郎と敵対していましたが、その小沢一郎は平成時代が始まった1989年に自民党幹事長になり一時代を築いた人物です。平成時代の恩恵を受けてきた最たる政治家です。しかし平成の終わりが近づくとともに小沢一郎の求心力は弱まっています。次は小沢一郎がいつ鬼籍に入るかが注目です。