2019年5月1日に改められる元号が決定し「令和」となりました。
今回の元号選定は安倍首相が4月時点で既に本命の元号に絞り込んでおり、他の複数の元号案は「当て馬」でした。特に安倍首相は日本の古典から元号を選ぶことにこだわっており、漢文学と東洋史学の専門家に委嘱して考案してもらった元号案は全て「当て馬」でした。
有識者懇談会、衆議院参議院両院の正副議長の意見聴取、閣僚会合での意見聴取、これら3つの意見聴取はすべて「安倍首相が独断で選んだ」と批判させないための単なる「儀式」です。
内閣総理大臣就任前から「支那古典ではなく日本古典の元号にしたい」と発言していた安倍首相
一国会議員というのは自由に発言ができます。しかし国務大臣に就任すると立場上発言が自由にできません。脱原発の急先鋒だった河野太郎議員が外務大臣に就任した途端に急におとなしくなったのも外務大臣という立場のため不用意な発言ができないからです。
これは内閣総理大臣に就任している安倍首相も同じです。内閣総理大臣の発言は日本の体外的な意見と受け取られますから立場上本音を言うことができません。
しかし安倍首相が内閣総理大臣に就任する前のヒラの国会議員の頃の発言を参考にすれば安倍首相の本音が読み取れます。
安倍首相は90年代まで自民党内部で冷遇されていたため無役だった時代が長く、そのときから元号は支那古典ではなく日本の古典から選ぶべきだと提言していました。
「漢文学」と「東洋史学」の専門家が考案した元号案については最初から眼中にもなかった安倍首相
だからこそ今回の元号案の考案を専門家に委嘱するにあたっては、「国文学」と「日本史学」の専門家が含まれたわけです。
実は安倍首相の本命はこの「国文学」と「日本史学」の専門家が考案した元号案だけであり、他の「漢文学」と「東洋史学」の専門家が考案した元号案は最初から「ボツ案」でした。
漢文学とはつまり支那の古典です。東洋史学も支那の歴史のことを指します。つまり「漢文学」と「東洋史学」は支那色に染まった元号案の候補だったということです。
安倍首相がはなっから眼中にもない「漢文学」と「東洋史学」の専門家に元号案の考案を委嘱したのはなぜか。それは「なぜ日本由来の元号案しか候補を出さないのか」と負け組左翼に批判させないためです。
候補を出す段階では日本:支那を2対2の割合で対等に候補を出させておけば、「なぜ日本由来の元号案しかないのか」という批判を封殺できます。
安倍首相の腹の中は「国文学」と「日本史学」の専門家が考案した元号案を本採用することですから、最初から安倍首相から相手にもされてなかった「漢文学」や「東洋史学」の専門家はある意味かわいそうだとも言えます。
当然ながら新元号選定は出来レース 東京五輪のエンブレムと一緒
私は今回の元号選定が安倍首相と菅官房長官の独断による出来レースだったことを歓迎しています。この2人が絞り込んだのが令和です。
2019年3月の段階で既に安倍首相と菅官房長官でこの「令和」に絞り込まれていました。最終的には令和に決定されることが3月の段階で確定していたわけです。
しかしそんなことがバレバレだと労働党(立憲民主党、国民民主党、共産党)が猛批判してきます。
そこで、山中伸弥教授や経団連前会長などの1.有識者懇談会、2.衆議院参議院の正副議長からの意見聴取、3.閣僚会合で一人ひとりの大臣からの意見聴取、というクッションを挟むことによって、「安倍首相が一人で元号を選んだ」と言わせない舞台づくりをしたわけです。
有識者懇談会は一人ひとり意見を発言してもらうだけで絞り込み無し
有識者懇談会には9名が参加しました。山中伸弥教授や榊原定征経団連前会長等です。この9人から1人1人、各元号案について意見聴取を実施するのが有識者懇談会です。この有識者懇談会は20分程度で終了しました。1人あたり1~2分程度意見を述べてもらうのを9人分やるだけでも20分です。つまりこの有識者懇談会では絞り込みを全くしません。単に「菅官房長官が9人の有識者の意見を聞く場」というだけです。
もしここで「この候補がいい」と絞り込み作業をする場合は20分ではとてもではないですが足りません。数時間程度議論する必要があるからです。
つまりこの有識者懇談会は、「安倍首相の独断ではなく一応他の人からも意見をきいた」というアリバイづくりのための単なる「儀式」です。
衆参両院正副議長の聴取にいたってはたった10分程度
衆議院議長の大島理森が住む衆議院議長公邸に、大島議長の他に衆議院副議長、参議院議長、参議院副議長の4人が集まり、菅官房長官から元号候補案の提示を受けました。4人は元号案に対する意見を述べました。
しかしここでもまた絞り込みは一切行われていません。4人の正副議長の意見を菅官房長官が首相官邸に持ち帰るだけでした。
たった4人だけであるため意見聴取も短時間で終了し10分程度でした。この程度の時間で済んだということは「正副議長としてこの案がいい」といった意見集約すらも行われていない傍証になっています。
一番長かった閣僚会合でも20分程度 理由は閣僚は20人もいるから
3回目の意見聴取は「閣僚会合」です。首相官邸に集まった国務大臣から安倍首相と菅官房長官が意見聴取します。
閣僚は安倍首相と菅官房長官を含めて20人です。他の18名から意見聴取するとしても長くて1分であり、2分も長々と意見を言わせていたらとても間に合いません。
大人数で一人ひとり挨拶させると途方もない時間がかかるのは学生でも社会人でも知っているでしょう。制限時間を1分にしないといくら時間があっても足りません。閣議決定での意見聴取も「儀式」に過ぎず、安倍首相と菅官房長官以外の国務大臣の意見なんて「耳を素通り」レベルです。
閣議決定は5分かからず 安倍首相が「令和いいか?」とYes or Noを諮ったのみ
閣議は内閣の意思決定を行う合議です。
ここで安倍首相が「新元号は令和とする」旨を閣議にかけました。国務大臣全員が賛成すればそこで閣議決定され新元号が確定です。
実はさきほどの「閣僚会合」では絞り込みは行われず、閣僚会合での意見をきいた安倍首相本人が、「閣議」で「この令和でどう?」と他の国務大臣に諮ったわけです。
つまり複数の元号案からの絞り込みは安倍首相が実施したということです。しかも2019年4月1日に絞り込んだのではなく、2019年3月の時点で安倍政権は「令和にする」と既に決めていたのです。つまり出来レースでした。
閣議は慣習法で全会一致が原則ですが、法律で全会一致が規定されているわけではありません。安倍内閣総理大臣以外の国務大臣は全員安倍首相本人が指名しているわけですから、反旗を翻す閣僚なんているはずもなく全員「賛成」ということになり一瞬で閣議決定されました。
杉田和博官房副長官が山本信一郎宮内庁長官へ電話で報告 菅官房長官の発表前に天皇陛下と皇太子殿下が「令和」に決定と報告を受ける
閣議決定後すぐに菅官房長官の会見ではありませんでした。
実はここにマスコミを出し抜いた「予定外」のスケジュールがあります。
閣僚会合後、閣議決定を待たずに直ちに杉田和博官房副長官が電話で山本信一郎宮内庁長官へ「令和に決まった」と報告しました。閣議決定されるよりも前に皇太子殿下や天皇陛下に新元号を把握してもらうためです。
山本信一郎宮内庁長官は宮内庁本庁舎(皇居の敷地内)で待機していました。
この報告を受けて、山本信一郎長官は東宮御所(赤坂)で待機している宮内庁西村泰彦次長に電話をかけました。
その電話のあとに山本宮内庁長官は車で本庁舎を出発し天皇陛下が待機する御所へ報告に向かいます。
ほぼ同時に、東宮御所で待機していた西村次長も新元号を皇太子殿下に直接報告しに向かいました。
首相官邸から御所、東宮御所まではそこまで遠いというわけでもないものの、首相官邸から車で向かっていたら10分以上の時間がかかります。そのため電話で現地まで連絡するという手段をとりました。
電話という手段を使ってでも、新元号を閣議決定する前に、天皇陛下と皇太子殿下だけには事前に「令和に決定」を伝えることに強くこだわったということです。
空白の時間がスケジュールにあると「先に天皇に報告するつもりだ」と野党が勘ぐるためわざと過密スケジュールに
11:30からの記者会見を実施するための事前スケジュールはどうみても過密でした。懇談会での意見聴取、衆参正副議長からの意見聴取、閣僚会合での意見聴取、閣議決定とすべてこなしていたら11:30になってしまうため、その間に別の予定なんて挟む余地はどうみてもありませんでした。
しかしこの隙間に「天皇陛下と皇太子殿下へ新元号を先んじて報告する」スケジュールあらかじめ入れてしまうと野党の妨害に合うため、あえて「嘘」のスケジュールを事前に公表していたわけです。
最初から菅官房長官の記者会見の遅れは既定事項
実は当初から11:30に菅官房長官が記者会見する予定は嘘でした。
菅官房長官の記者会見はそれよりも遅れることが最初から決まっていたわけです。
それは天皇陛下と皇太子殿下に新元号「令和」を事前報告するための時間が必要だからです。
安倍政権は「天皇陛下と皇太子殿下が新元号を把握した後に閣議決定する」ことを決めていたわけです。あくまでも元号というのは天皇陛下のためのものであるため当然です。
しかしそのような手続きを事前に規定して公開しておくと批判にさらされるので、これは当日まで明かされないスケジュールでした。
菅官房長官は最初から、11:40頃から記者会見する予定だったわけです。
成果1.安倍政権が次の時代の元号を選んだ
「早くアベを引きずり下ろさないと、平成が終わってしまう」
これは2017年~2018年にかけてモリカケで騒いでいた左翼の危機感そのものです。彼らは早くアベを引きずり下ろさないと、安倍首相が決めた元号の下で生きていかなければならないという死活的な問題を抱えていました。
2017年にモリカケで頑張るも衆院選で左翼は大敗。そして2018年にもう一度モリカケで盛り返しますが、まさかの2018年9月の自民総裁選で安倍総裁再選。
結局安倍首相のまま2019年4月1日を迎えてしまったわけです。結果的に安倍首相が選んだ元号「令和」の下で左翼は今後生きていかなければならなくなりました。
野党に投票してる低所得の負け組国民が嫌がる新元号を安倍首相の手で制定できたのは、自民党支持者にとって大きな成果です。
NHKニュースでもこれを明確に報道しています。
複数の閣僚が意見を述べましたが意見集約は行われず、最終的に安倍総理大臣に一任する形で「令和」が新元号に決まりました。
エラー|NHK NEWS WEB
成果2. 安倍首相が歴史上初めて支那古典ではなく日本の古典を典拠とした元号を制定
これも負け組左翼が非常に嫌がっている点です。令和を含めて過去248の元号がありますが、典拠が判明しているものはすべて支那古典に根拠があります。
それが今回、文学史の授業を受けてきた日本国民なら誰しもが一度は耳にしたことがある「万葉集」から新元号が考案されました。
過去の慣習を安倍首相が破ったわけです。安倍首相は日本文学から元号を選んだ最初の為政者となりました。
これは福沢諭吉の脱亜論の現代版とも言える「支那斬り」です。支那とその属国の南朝鮮をざっくり斬り落とす意味の込められた「日本文学を典拠」は左翼が一番嫌がっている点です。
歴史教科書と公務員試験に頻出する「最初に~した」
歴史教科書には、「初代内閣総理大臣は伊藤博文」「戦後最長のいざなみ景気」といった「最初」とか「最長」といったことが記載されます。
同時に公務員試験でも「最初」とか「最長」がよく狙われます。「失業率が過去最低を記録」というのも公務員試験の択一試験の選択肢によくでてくる部分です。
「最初」「最後」「最長」「最短」「最高」「最低」といった特異点となる部分は歴史教科書でも公務員試験でも非常に好まれる部分になります。
安倍首相は歴代内閣総理大臣の中で連続在任期間、通算在任期間ともに最長記録を更新しようとしていますが、それにとどまらず「最初の元号大化からも含めて、最初に日本の古典から元号を選んだ為政者」の記録も作ってしまいました。同じことを他の人がやってもそれは2番目です。やはり歴史に残るのは「最初」です。安倍首相がこの「初めて」のことをやってしまったことで、そのあとどう左翼が頑張ろうと決して消し去ったり塗り替えることのできない前例を安倍首相は成し遂げてしまいました。
さらに次の元号が支那古典由来に戻ろうとも、一度安倍首相が日本の古典から元号「令和」を選んだ事実は消すことができません。左翼からみたら「もう今後絶対に消し去ることのできない史実」を安倍首相につくられてしまったわけで、これは本当に負け組左翼が嫌がる部分です。
戦争を回避したいことから選ばれた昭「和」 皮肉にも、むしろ戦争だらけだった昭「和」
左翼が唯一の慰めとしているのが令和の2文字目に「和」の字が採用されたことです。
戦争を蛇蝎のごとく嫌っている知られる創価学会の政治部門、公明党の代表である山口那津男氏は以下のようにコメントしています。
山口氏は「『令』という言葉はこれまでの元号で聞いたことがない。少し驚いた」とも述べ「『和』は昭和で使われてそれほど時間がたっていない。平和が続き、国民が融和し和んでいくという意味を象徴する良い文字だ」と語った。
産経新聞
【新元号】公明・山口代表「奥行きのあるすばらしい元号」公明党の山口那津男代表は1日、新元号が「令和」に決まったことについて「大変奥行きのある、すばらしい元号になった。国民に広く浸透し、次の令和時代を迎えていきた…
そして玉城デニー沖縄県知事も以下のようにコメントしています。
沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は1日、新元号「令和(れいわ)」が発表されたのを受けて「戦争のない平和な時代を望みます」と述べた。県庁内で記者団の質問に答えた。
産経新聞
【新元号】沖縄知事「戦争のない平和な時代望む」沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は1日、新元号「令和(れいわ)」が発表されたのを受けて「戦争のない平和な時代を望みます」と述べた。県庁内で記者団の質問に答え…
公明党山口那津男代表も玉城沖縄県知事もそろって「和」を平和の「和」と捉えて平和な時代が来ることを願っています。
しかし、昭和も令和と同じく2文字目に「和」が使われている元号です。
昭和とはどういう時代だったでしょうか?
支那事変に始まり、大東亜戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、冷戦と常に軍事衝突の時代でした。
大正が終わり昭和が始まる前の時代は、第一次世界大戦が終わり日本が特需で大儲けをし戦争成金が大量発生していた頃です。
日本では第一次世界大戦と第二次世界大戦は別物と捉えられていますが、欧州では「第一次世界大戦と第二次世界大戦は密接不可分で一続きのもの」と捉えられています。
第一次世界大戦が終わった後でもその後も戦争の火種があることは日本も察知しており、平和な時代を望んで「昭和」という元号が制定されました。
実際に昭和天皇は最後まで開戦に反対し、総理大臣、陸軍大臣、内務大臣の3つも兼務していた東条英機に開戦阻止を命令していたことで有名です。しかし戦争は回避できず昭和の時代はこれまでにないほど大規模な戦争の時代になりました。
つまり平和を望んで昭「和」という元号にしたのに、実際やってきたのは未曾有の戦争の時代だったということです。
そして現在の国際情勢も荒れています。
2015年の集団的自衛権行使を認める安保法制成立、2016年のまさかのトランプ再選、英国EU離脱、2018年の米支那貿易戦争、2019年の米朝会談決裂。他にもイスラエルのゴラン高原領土承認やインド・パキスタン領土紛争など戦争の火種が世界各地にあります。
左翼は「平成が終わったら平和が終わり戦争の時代がきてしまいそう」という恐怖心を持っています。その恐怖心の裏返しとして「平和の和」ということをことさら強調して自分を慰めているわけです。
本当に次の時代が平和になる確信があるのなら、ここまで「和」の字を意識する必要はありません。次の時代が戦争の時代になることを察知しているからこそ、自分に言い聞かせるために「令和の和は平和の和だ。だから次の時代は平和になる」と願望を唱えているということです。
本当に平和な時代がやってくるなら、トランプ大統領はそもそも当選せず、EU離脱派が多数になることなんてなく、米朝会談は米国が折れる形で合意しています。
令和は戦争の時代の到来ということで大いに期待が持てる時代です。