SMAP解散、安室・小室引退よりも平成研究会(額賀派)分裂の方が「安倍死ね」ババアにとって打撃

離婚して母子家庭になった貧困ババアは年がら年中「安倍死ね」と吠えていますが、こういった負け組ババアにとって望ましくない事態が自民党内部で発生しています。

自民党第3派閥の「平成研究会」通称額賀派が内部分裂し修復不可能な事態に陥っています。

この「平成研究会」は平成時代全盛期の98年まで内閣総理大臣を輩出してきた自民党最大のエリート派閥でした。

しかし、小渕恵三が2000年に急死するという棚ぼたで、現在の安倍首相の出身派閥である「清和政策研究会」が歴代総理大臣を輩出する派閥にとってかわりました。

現在では「清和政策研究会」が自民党最大の第1派閥になる一方で、「平成研究会」は第3派閥になっています。

そしてこの「平成研究会」が衆院議員と参院議員で2つに割れる観測がでており、もし割れた場合は平成研究会は岸田派と二階派よりも弱小の第5派閥に転落する見込みとなっています。

「平成研究会」は小渕恵三の娘の小渕優子を総理大臣にすることが唯一の生き甲斐だった派閥です。小渕優子が総理大臣になることはシナ政府(シナ共産党)が以前から期待していたものであり、小渕優子の不祥事が報道された際に最も残念がったのはシナ政府だと言われています。

しかし小渕優子が不祥事で失脚してから目標を見失い、もはや雲散霧消寸前になっています。平成時代の全盛期96年に「平成研究会」に改称し、98年まで内閣総理大臣を輩出してきたエリート派閥が、SMAP解散、安室奈美恵引退、小室哲哉引退という「平成時代の終わり」の流れとともに消え失せつつあります。

平成時代の始まりとともに自民幹事長になった小沢一郎も在籍していた「平成研究会」

小沢一郎は自民党に所属していたころは竹下派に所属していました。この竹下派こそ今の平成研究会です。

この後から、小沢一郎は自民党を離党する愚挙を犯し、今となっては政党要件を維持するだけで精一杯な泡沫政党の党首です。2012年の衆院選で「未来の党」が惨敗したことによって、「もう小沢一郎にはセキュティポリス(SP)は不要」と警察庁が決定しSPが付かなくなりました。

私は当サイトの記事で一貫して「自民党を離党した政治家は例外なく没落している」という歴史的事実を記載してきましたが、その法則が小池百合子にも当てはまったことは、一人も子供を産めないまま人生を終えた小池百合子を支持していた方々もよくご存知の通りです。

小沢一郎が政治家として注目されたのは、1989年に40代という史上最年少で自民党幹事長に就任したことでした。

1989年は平成元年です。平成時代の始まりとともに、小沢一郎の「夏」が始まりました。しかし平成時代の終わりまで1年と3ヶ月を切った今となっては小沢一郎も平成時代の終わりとともに死につつあります。

「平成研究会」の終わりは小渕恵三死亡で始まった

平成研究会は自民党の歴代総裁を輩出し続けたエリート派閥でした。自民党が衆院で過半数を握っていれば、自民党総裁であることは内閣総理大臣になれるということを意味します。

この平成研究会は「親シナ派」で知られており、今の安倍総裁が所属する自民党内で最右翼の「清和政策研究会」とは相容れない派閥でした。

そしてその平成研究会の「夏」は小渕恵三の急逝で終わりました。

この次に内閣総理大臣になったのは森喜朗ですが、森喜朗は別に支持されて内閣総理大臣になったのではなく、緊急事態の「つなぎ」として棚ぼた的に内閣総理大臣になっただけでした。しかしこの「小渕急死」という事件が、今の安倍首相を生み出す「清和政策研究会の夏」に繋がりました。

小渕過労死という棚ぼたで本流になった「清和政策研究会(森派)」は安倍首相の出身派閥

当時森喜朗が領袖の森派(清和政策研究会)は自民党では傍流の弱小派閥でした。当時は安倍氏は冷遇されていた時代で安倍氏は自民党内での出世が非常に遅い議員でした。理由は左翼「平成研究会」が90年代に幅を利かせていたため安倍氏がチャンスを与えられていなかったからです。

小泉総理に幹事長・内閣官房長官として重用されるまで冷や飯を食わされていたのが今の安倍首相です。また小泉純一郎が将来総理大臣になるなんて誰も予想していない状況でした。

傍流だった清和政策研究会が、一転して歴代内閣総理大臣を輩出するエリート派閥に「小渕恵三死亡」という事件で変わるとは、「永田町は一寸先は闇」と言われる理由もわかる気がします。

「平成研究会」が没落して以後の歴代総裁は「清和政策研究会」

森喜朗は小渕恵三急死の後処理をするための単なるピンチヒッターだったので森政権は短かったですが、その後の小泉政権が長かったのは言うまでもないでしょう。森喜朗も小泉純一郎も、今の安倍首相の出身派閥「清和政策研究会」の人間です。

小泉総理が退任してから1年は安倍総裁になり、その後福田康夫が総裁になりました。福田康夫も清和政策研究会の人間です。

その後の麻生太郎は清和政策研究会ではありませんが、2012年に第2次安倍内閣が発足して以降常に財務大臣の副総理として入閣し続けていることからも、麻生派は清和政策研究会の補完勢力です。事実上、森喜朗が2000年に内閣総理大臣になってからずっと清和政策研究会が自民党の内閣総理大臣出身派閥になっています。

親シナ派の首相候補としてシナ共産党が期待していた小渕優子の失脚

小池百合子が2017年10月に盛大に演じてくれた「女性の敗北」よりも小渕優子の方が先に「女性の敗北」をやらかしてくれました。小渕優子は日本の国会議員の中でも親シナ派としてシナ政府が大いに期待していた人物でした。内閣総理大臣になってくれればシナにとって有り難いということで、シナゴリ押しの国会議員でしたが見事不祥事で潰れてくれました。

平成時代の終わりとともに「平成研究会」も終わりの時を迎えつつある

平成研究会が分裂してもしなくても、もはや主流派閥として返り咲くのは難しいです。麻生派が旧番町政策研究所(山東派、大島派)と合併したので、麻生派が第2派閥であることは今後も続きます。番町政策研究所は自民党の中でも最小派閥でしたが、入閣議員を2名も出すなど安倍首相から重宝されていた派閥です。加えて麻生派は今でも筆頭官庁である財務大臣ポストを得ているので、第1派閥の清和政策研究会と第2派閥の麻生派の大勢が今後も主流となっていきます。額賀福志郎の無能っぷりが平成研究会を没落させてくれたという点では、安倍首相にとっては額賀福志郎の存在は僥倖だったかもしれません。