SMAP解散で一時代が終わりました。EU離脱やクリントン大敗北・トランプ大勝利といった時代の流れについていけない存在となったSMAPが自然消滅した格好です。
非常にひどく馬鹿だなと思ったのは最後の辞め方です。
まさに「立つ鳥跡を濁さず」と真逆のことをやってのけました。
例えるなら、都知事を辞任した舛添要一のような辞め方をしたのがSMAPです。
舛添要一を最終日に見送る東京都の職員(いわゆる都庁公務員)がたった8人、花束も拍手もなしといったものでした。
解散したり辞めるときには、最終日に盛大に見送られて華やかに去る人がいます。
石原慎太郎が都知事を辞職し最終日に退庁する際は、東京消防庁音楽隊が都庁1階ロビーに集まり演奏を行い、1000人の職員が1階ロビーに集まり花道を造り拍手で見送り、石原元都知事は花束も渡されていました。
東京都の警察消防などを除いた一般行政職員数は1万8千人程度で、さらに中には新宿の都庁本庁舎に勤めていない出先機関にいる職員もいますから、そう考えると全一般行政職員数の1割程度の人が見送りに出ていたことになります。これはものすごい数です。
一方で舛添要一はたった8人、当然音楽隊なんか居るはずもなく、拍手もなし、花束もなしです。
SMAPが舛添要一のように「後は野となれ山となれ」で逃げたように解散したのは完全に母子家庭育ちのクソガキのような辞め方と言えるでしょう。
これは社会人で今まで退職をしていった人を見たことがある人ならわかると思います。
しっかり最終日まで仕事をして盛大に見送られて辞めていく人と、最終日に何もせずいつのまにか消えていく人。
去り際というのは、その人物の人となり、器の大きさがよくわかります。
今回のSMAPの最期の去り方からして、所詮SMAPの中の人の器はこの程度だったということです。