2018年3月18日21:20で一連の”ヒラマサ祭り”は終了します。
このヒラマサ五輪は非常に好ましい結果を導いてくれました。
対話派のティラーソン国務長官更迭を早めたヒラマサ五輪
トランプ政権のメンバーが戦争好きな強硬派に次々と交代されています。
特にティラーソン国務長官の更迭は非常に朗報でした。
2017年12月頃には年内(2017年中)にティラーソンは更迭されるだろうと報道されていましたが結局2017年中には更迭されませんでした。
このままズルズルと先延ばしされるのかと思っていましたが、それにケリを付けてくれたのがヒラマサ五輪です。
むしろ開戦リスクを高めてくれたヒラマサ五輪
ヒラマサ五輪をきっかけとしてトランプ大統領は金正恩との会談を受諾しました。
会談をすることで、馬鹿な人は「トランプは北朝鮮と対話するために対話派のティラーソンを重宝するはず」と誤った願望をもっていました。
しかし現実は全く逆であり、トランプ大統領は強硬姿勢を貫くため対話派のティラーソンを更迭しました。また戦争に消極的なマクマスター国家安全保障補佐官も解任が決まっています。
つまりヒラマサ五輪によって結実した”米朝対話”の実現によって、むしろ戦争リスクが高まったことが最近になってわかってきています。
これらの人事から米国は譲歩する素振りも見せていません。譲歩するのは北朝鮮側だとトランプ大統領は決めてかかっています。
それはつまり端っからトランプ大統領は北朝鮮と妥結するつもりがないことを意味します。
「北朝鮮の会談受諾してやったのに北朝鮮が誠意を見せないから決裂した」という口実をトランプ政権が取得しようとしてます。
ヒラマサ五輪がなければだらだらと戦争が起きない状態が続いていたのに、ヒラマサ五輪のせいで結果的に開戦リスクが高まったしまったのは皮肉でしかありません。
そしてついにヒラマサパラリンピックは2018年3月18日で終了し、戦争嫌いな左翼さんが心のよりどころにしていた逃避先が消えてしまうことになります。しかもその”ヒラマサ”が逆にティラーソン国務長官の更迭という、トランプ政権の中で最大の左派が失脚したのは戦争嫌いの低所得ババアにとってかなりの痛手です。
無駄に焦ったせいで劣勢に置かれた北朝鮮 一転して揺さぶられる側に
北朝鮮の思い通りに運んだのはヒラマサ五輪開始前からトランプ大統領が米朝会談を受諾する直前まででした。
トランプ大統領が米朝会談を受託したことについて北朝鮮の機関紙による論評は安定せず、あとから発言を取り消しており、北朝鮮はトランプ大統領の決断を評価していいのか酷評すべきなのか判断できずにいます。
北朝鮮は米国との会談をあせるあまり自ら期限を設定してしまいました。5月までに会談を設定してしまったため、それ以上核開発の時間を引き伸ばすことが難しくなりました。
北朝鮮が無駄にヒラマサ五輪を利用する”焦り”をみせなければ核開発の時間稼ぎがもう少しできたところです。
核開発がある程度完成すれば米国に対して強気で交渉できるところでした。
ところがこの”ヒラマサ”にあわせる形で北朝鮮側が日程を組んでしまったためスケジュールを早めてしまい、北朝鮮自ら不利な状況で会談に臨まざるを得なくなりました。
北朝鮮はなんとしてでも米国に折れてもらうきっかけが欲しかったと考えられ、そのきっかけを”ヒラマサ”にすることを決めたことが仇になっています。
米朝会談の期限を設定したことで逆にトランプ政権のメンバー入れ替えで強硬姿勢を強める結果になりました。
年明けからは北朝鮮の思い通りのペースになっていたと思いこんでいたら、いつのまにか北朝鮮にとって不利な情勢になり、一転して北朝鮮は米国に揺さぶられる側になってしまいました。
ヒラマサ五輪開始直後は北朝鮮にとって好ましい展開だと思っていても、それが後々トランプ政権の更迭&強硬派人事という結果に繋がっているかは誰も予想していなかったでしょう。これは日本の政治において、小池百合子が自民党にとって敵だと都知事選や都議選のときは誰しもが思っていたのに、実は小池百合子人気のおかげで民進党が分裂し野党分裂選挙になって皮肉にも自民党を2017衆院選で大勝させてくれたのと同じです。そのため私は都知事選と都議選で小池百合子陣営に投票した馬鹿なババアには本当に感謝しています。都知事選と都議選で小池が勝って小池人気がでてないと、民進党は分裂を決断せず野党分裂選挙になっていなかったからです。
そのときは悪いと思ったことが後々良い結果に繋がっていることは往々にしてあることです。逆に、そのときは良いと思ったことが後々悪い結果に繋がっていることもあります。塞翁が馬というものですが、これが今回のヒラマサ五輪を利用した北朝鮮にも当てはまります。
ヒラマサ五輪のおかげと感謝していた北朝鮮は、実はヒラマサ五輪のおかげでトランプ政権を激変させ、自らの首を絞めることになってしまったということです。