何が悪いのか全く理解できない文部科学省職員の天下り

文科省職員の天下りが、国会議員からも民間人からも右派左派問わず袋叩きにされていますが、私にはこの”天下り”のいったいどこが悪いのか全く理解できません。

「文科省職員の天下り問題」といわれていますが、そもそも天下りは問題ですらありません。

 月2日勤務で年間報酬1000万円を支払おうが明治安田生命の勝手

文科省職員が国立大学法人に天下って月2日勤務で1000万円の報酬を得ていたり、文科省が所管する独立行政法人に天下って同様の報酬を得ているのなら批判するのはまだわかります。

国立大学法人も、独立行政法人も主に一般会計予算からの資金で運営されており、一般会計予算の歳入の半分は税ですから、税を支払っている国民が、文科省職員が国立大学法人や独立行政法人に天下ることを批判するのはわかります。

しかし、今回の月2日勤務で年収1000万円というのは民間企業である明治安田生命が支払っているものです。

明治安田生命が文科省職員を中途採用するのも明治安田生命の勝手ですし、元文科省職員である明治安田生命の従業員にいくら報酬を支払おうがそれは明治安田生命の勝手です。

なぜなら明治安田生命は民間企業だからです。税を財源として運営されている公的機関ではありません。

月2日しか勤務しないにしても、そのような就業規則を備えるのは明治安田生命が独断でやるべきものであり、他の民間人が口を出すことではありません。

日本は憲法でも民法でも「私的自治の原則」を採用していますから、当然「私有財産制」も採用しています。

私有財産制とは、「自分の財産は他人にも国にも文句を言われない自分のもの、どう使おうが財産を保有している者の勝手」というものです。

つまり明治安田生命の財産を月2回勤務の人に1000万円渡そうが、日本は私有財産制を採用しているわけですからそれは明治安田生命の勝手です。

民間企業である明治安田生命のお金の使い方を、赤の他人から「月2回勤務の人に1000万円も支払うな」と指図されたり批判されるのは逆に恐ろしいことです。それはまさに「個人の金も企業の金も全てシナ共産党の金」のように、私有財産制が認められていないシナのようなものです。

民間企業の方が天下りを最大限活用している

むしろ天下りが一般的なのは民間企業です。

たとえばNTT持ち株と呼ばれる日本電信電話は傘下に100%子会社としてNTT東とNTT西、そして持ち分は少ないもののNTTドコモの筆頭株主になっています。

日本電信電話は新卒で入っても生涯日本電信電話で勤め上げることができる人は本当に極々一握りです。ある人は大学の教員になるために外にでたり、傘下のグループ企業に天下ります。NTT東西やNTTドコモなどに天下っていきます。

就職においては、どの企業体を選ぶかは価値観の違いによって様々な選択肢があるでしょう。例えば東海旅客鉄道(JR東海)と日本電信電話については優劣は比較しません。どちらを選ぶかはそれぞれの価値観に照らし合わせて決めればいいからです。

しかし、NTTグループに入ろうとおもったら「必ず」NTTグループの中でできるだけ上の企業に入らなければなりません。NTTドコモの子会社よりはNTTドコモ。NTTドコモよりは日本電信電話のように、最初新卒で就職するときはできるだけその企業グループの”上”に入ることが重要です。

これは国でも同じであり、国家総合職として特許庁に入っても特許庁長官になることはできません。特許庁長官のポストは国家総合職として経済産業省に任用された者の指定席です。だから最初に入る職場は重要なのです。

良い大学をでて、さらに良い就職をすることに学生が必死になっているのには理由があります。最初に新卒で就職する職場で大きく人生が変わるからです。

このように民間企業は最大限に露骨に天下り制度を採用していると言えます。それなのになぜ国の官公庁の職員だけ天下り批判をされなければならないのか、しかも国家公務員の天下り先は民間企業であり税金で養われている組織ではありません。

民間企業に天下ることで人件費を抑えて税の無駄遣いをしないようにしている

そもそもなぜ国でも民間企業でも天下り制度があるのかというと、大卒や院卒で入った若手が全員社長や事務次官になれるわけがないからです。

民間企業だったら、出世レースからはずれて取締役・執行役になれなかった人を別の部署で定年まで養ってあげるのは別にいいでしょう。その企業がそうしたいならそうするのはその企業の自由だからです。

ですが国はそうもいきません。財源は税と国債だからです。省庁の新人として30人任用したとしても、将来全員を局長にすることはできません。なれなかった人をどうするかというと、民間に出ていってもらうしかないわけです。これが天下りです。

省内の別の部署で出世レースから脱落した人を養うという手もあります。でもこれは人件費がはんぱなくかかります。新人とは違い号俸は高いので、財源となる税収が限られている以上、出世レースから脱落した職員を養う余裕なんて国にはありません。

そしてその人が存在することで人件費の枠があかなくなり、新人を任用できなくなります。そうすると業務が回らなくなります。中央の官公庁職員は若手の間にしかできない激務が山ほどありますから、どんどん若手を採っていかないと業務がまわりません。

業務をまわすには、残念だけれども年をとった出世レース脱落者は民間企業に再就職してもらって、その浮いた人件費を若手採用に回すしかないわけです。

これが民間企業への天下りが今でも存在する理由です。これのどこが悪いのか私には全くわかりません。民間企業に天下ることによって、民間の資金でその人を養ってもらって、代わりに税金で養う公務員数を減らしているからです。これはむしろ税を納めている国民なら歓迎すべきことなのになぜか批判をします。

では逆に、「天下りをせずに定年まで公務員のまま養うだけの財源を集めるために国民のみなさんは増税でもいいんでしょうか?」という話です。

天下りも嫌だし増税も嫌、というのは単なる「反知性主義」のワガママでしかありません。

そんなに天下りたいのなら国家総合職試験を受けて簡単に任用される下位官庁にでも入ればいいだけ

そんなに”天下り”が羨ましいのなら文科省を始めとした官公庁に就職すればいいだけの話です。

国家総合職試験なんて大学受験に比べたら比較にならないほど簡単です。その次に官庁訪問で任用候補者に内定する必要がありますが、文部科学省なんてありえないほど激務でこき使われるので早慶出身が主力の下位官庁です。知人の女性で文科省に入ってしまった人が、「仕事に忙殺されて気がついたら20代後半を迎えてしまって売れ残ってしまった」と嘆いている愚痴を聞かされたことがあります。そんな地獄でもいいなら入りたければ誰でも入れます。

むしろ、難関といわれる財務省の方が天下りに関しては文部科学省より恵まれていないと言えるでしょう。

良い天下りができるかどうかは、官公庁間のパワーバランスとあまり関係がありません。その官公庁の「性質による」と言えます。

例えば金融庁職員(正確には内閣府職員)が金融機関に天下っているかといったら大間違いです。勉強のために金融庁職員が出向することはありますが天下ることなんてありません。”監督”や”検査”の対象となる金融機関に、”監督”や”検査”をする金融庁職員が天下るなんてあるはずがなく論外です。

また2012年頃に大物事務次官と呼ばれていた財務省の勝栄二郎元財務次官は、インターネットプロバイダのIIJに再就職しました。つまり天下りです。

ですがIIJは財務省の影響力が強い企業だと言えるでしょうか?

天下りというのは、受け入れる側の民間企業が「この人が来てくれると箔がつく」からこそ受け入れている側面が強いわけであって、見返りを期待しているわけではありません。

「勝栄二郎次官ほどの人物が我が社に来てくれるだけでありがたい」という側面が強いわけです。明治安田生命も同じです。国家公務員であった元文科省職員が「我が社に居てくれる」というだけで、社に箔が付きます。それを期待しているわけです。だから別に月2日勤務でも全然構わないわけです。元国家公務員が在籍してくれているという事実だけで有り難いからです。前述しましたが、明治安田生命がそれでよいと思ってやってるんだからそれでいいんです。

そもそもIIJは総務省の旧郵政省が所管する分野であり、財務省出身者を「見返り」で受け入れるメリットなんてほぼ無いでしょう。「見返り」を期待するなら総務省元職員を受け入れるに決まってます。

このように強い官庁と言われている財務省の職員にとってのゴールと呼ばれる事務次官の中でもさらに大物次官と呼ばれた人でもIIJ社長です。

一方で、課長までしかなれず出世レースから早々に離脱し天下ることになった人でも、IIJ社長よりさらに良い待遇の場所に天下った職員は普通にいるでしょう。

よって、別に天下って楽をしたいなら、財務省のような難しい官庁に任用される必要もなく、さらには事務次官どころか局長や審議官を歴任する必要もないということです。

単に国家総合職試験を受けて合格して、文科省や環境省のような簡単な下位官庁に任用してもらって、課長までいったら天下ればいいだけです。

それは普通に勉強して普通の大学にはいって、普通に大学で勉強して、普通に国家総合職試験を受ければ誰でもできることです。

そんな簡単な努力すらしないのに「天下りは許せない」と吠えているのは、私からしたら「負け犬の遠吠え」にしか聞こえません。