民進党を離党する長島昭久議員を自民党が勧誘、立候補選挙区は公明党太田昭宏の東京12区が有力

民進党の前原誠司議員と並ぶかそれ以上の保守系議員であり、石破茂や野田聖子のような下手な自民党議員よりもまともな衆院議員である民進党の長島昭久氏が離党を表明しました。

さっそく自民党は秋波を送っており、2016年の参院選後に相次ぐ自民党入党・会派入りラッシュの一環として自民党に勧誘することを始めています。

長島昭久議員は比例復活であるため、このまま無所属のまま衆院選を迎えてしまうと次の選挙で比例復活ができません。小選挙区で戦うにも、自民党が23勝1敗という圧倒的強さを叩き出している小選挙区東京ブロックで自民党のバックアップ無しで当選は難しいです。

問題は既にほぼ満席状態の東京ブロック25選挙区のうちどこから長島昭久議員は立候補するかということになります。

25選挙区のうち既に自民党候補が居る選挙区は24です。つまり一応空きはあります。

残りの1つはどこかというと、公明党太田昭宏議員がいる東京12区です。

自民は衆院東京ブロック25のうち23選挙区で勝利
残りは公明党枠(12区)と民進党の長妻(7区)の2つのみ

自民党は衆院東京ブロックの計25選挙区のうち、北区と足立区が含まれる12区のみを公明党に明け渡しています。この区には自民党候補が居ません。

東京7区には自民党候補の松本文明議員が居ますが、小選挙区で民進党の長妻昭に敗れ比例復活しています。

逆に言えば自民党が負けているのはこの長妻の東京7区だけです。他の23選挙区では全勝しています。

長妻に負けているからといって候補者を松本文明氏から長島昭久氏に差し替えることは考えにくいでしょう。

長島昭久議員が入る枠は公明党太田昭宏議員の東京12区しかない

自民党東京都連のトップである下村博文自民党幹事長代行は、「選挙区調整が課題だが、長島昭久の自民党参加を歓迎する」と勧誘活動を始めています。選挙区調整もなにも、空きがあるのは先程も記載したように東京12区のみです。

長島昭久議員を東京比例ブロック単独立候補させるのは自民党所属議員の理解が得られないでしょう。必ず小選挙区で戦わせるはずです。

保守系とはいえ、自民党からみた”筆頭敵国”とも言える民進党に長島昭久議員は長く所属していたわけですから、自民党候補者として出馬するならそれなりの厳しい戦いをしてもらう必要があります。

公明党の太田昭宏を破って東京12区で当選したとなれば、自民党国会議員は長島昭久氏の実力と戦果を認めて盛大に歓迎し、長島昭久議員を名実ともに自民党の仲間として迎え入れるでしょう。

自公連立のシンボルが12区なら、自公連立解消のシンボルも12区になる

何事もopenがあれば必ずexitがあります。自公が90年代に連立した以上、連立を解消する日も必ずやってきます。

その自公連立のシンボルが、東京12区を自民党が明け渡して公明党に譲ったことでした。

逆に言えば、この東京12区を公明党から取り戻すことが自公連立解消のシンボルとなります。

北区と足立区の住民は日本の政局を大きく動かすことになります。日本中が注目する選挙区になるでしょう。

”負け”リスクを避けるために引退する可能性もある太田昭宏議員

公明党は考えることがシナと同じなのでメンツにこだわります。

公明党の山口那津男代表は、安倍内閣が2014年に「集団的自衛権」という文言を織り込んだ閣議決定をした後に辞任しようとしたことがありました。

公明党としては集団的自衛権を認めず警察権の範囲内でできると主張しましたが、安倍総理に一蹴され公明党の敗北となったわけです。その責任をとって「俺が辞めればいいんだろ・・・」と山口那津男代表が漏らすも、周囲が慰留してなんとか代表のまま残ってもらったようです。

もし公明党代表である山口那津男氏が辞任したら、公明党が自民党に敗北したことを公に認めたことになるからです。

メンツを保つことを優先させ、あえて山口那津男代表を辞任させず続投させました。

もし東京12区に自民党が公認候補をぶつけてくるようなことがあったら、太田昭宏議員は戦わずに自ら引退する確率が高いです。若しくは太田昭宏議員は比例に移動させ、落選しても痛くない公明党新人を東京12区に擁立して、もし新人が落選しても「これは負けではない」という印象を持たせることに腐心するでしょう。

加えて民進党の長妻を小選挙区で落選させることができれば、自民党はすべての衆院東京ブロック小選挙区を制覇することになります。

野党の一議員の離党がここまで大きな事件につながる可能性もあります。もしかしたら、後々考えたら自公連立解消の達役者は長島昭久議員だったと評価されることになるかもしれません。

自公連立解消に最も貢献したのは自民党でも公明党でもなく、人材流出をさせた民進党であったと大きく評価される可能性すらあります。