政治介入をし続ける今上天皇には呆れる 決定権があるのは国民代表たる議会と内閣

今上天皇の譲位に関する政府が設置した有識者会議で、譲位容認が16人中8人と賛否が綺麗に割れました。

今上天皇が望む譲位容認派があまり居ないという結果がでた途端に、今上天皇の旧友を名乗る者が2016日11月30日に報道各社にリークを行ったのです。有識者会議で「摂政でもいい」という人が半数にも及んだとたんにこの報道です。今上天皇の意向にそわない結果になりそうだからということで、わざとこのタイミングにぶつけてきています。

ここまで政治介入が露骨だと呆れるどころか、今上天皇は完全に法令違反を犯しています。

【天皇陛下譲位】 陛下のお気持ち伝達に菅義偉官房長官「コメント控える」

菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で、天皇陛下が譲位の恒久的な制度化を望む考えを旧友に明かされていたことについて、「報道は承知しているが私の立場からコメントすることは控えるべきだ」と語った。

陛下のお考えが、安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」での議論に与える影響については、「予断を持つことなく静かな環境の中で議論を進めていただきたい」と述べた。(産経新聞http://www.sankei.com/life/news/161201/lif1612010035-n1.html)

菅官房長官はノーコメントを貫きましたが、これは当然です。憲法で天皇は一切政治に口を出さないと規定されているのに、天皇の発言で右往左往していたら国民主権で議院内閣制を運営している意味がまったくないからです。

今夏の「気持ち」表明の直後も、日本政府は建前として「天皇の表明を受けて政府は対応を検討するのではない。自主的に検討を開始する」としていました。天皇の意向を踏まえて日本政府が対応を開始したら、天皇の政治介入を認めたも同然だからです。それは当然法律違反どころではなく憲法違反です。

私は今夏の「気持ち」表明くらいだったらまだ理解できました。意見を表明する機会はあってもいいと思ったからです。ですがそれを受けてどう対応するかを決定するのは、主権がある国民が送り込んだ国会議員と、国会が指名した内閣総理大臣です。天皇に主権はありません。ここまで露骨に政治介入をされるとさすがに、いくら陛下と言えど何様?と思います。

皇室典範も法律も制定するのは国会

伊藤博文が譲位を認めなかったのは、国が割れて混乱してきた歴史を憂慮してきたからです。だからこそ皇室典範では譲位を認めませんでした。そしてこの譲位が実現するかどうかは、国民が送り込んだ国会議員が決めることです。今上天皇が決めることではありません。皇室に決定権は一切ないわけです。それを何が何でも今上天皇の意見を押し通そうと、メディアにリークをするなど露骨な政治介入を行っているのは、いったいなんのために立憲君主制を採用しているのかと思わせます。

その後も堂々と今上天皇の意向をリークさせ政治介入する宮内庁

皇室の意向が政治に反映されては決していけません。なぜなら日本は国民主権の国であり、主権は全国民にあるからです。

私は決して今の日本国憲法を評価しているわけではありません。むしろ欠陥だらけだと思っています。それでも権力の暴走を食い止めるために、人権の規定、さらにそれを徹底させるために統治という規定まで設けているわけです。そして統治では三権分立の他に、国と地方にも権限を分割するという徹底した権力分散で権力の暴走を未然に防ごうとしています。

憲法では言及されてない部分は判例で難しい判断を積み重ねてきて、やっとここまで法体系を作り上げてきたものを、今上天皇による政治介入で一気に叩き壊されるのには怒りを覚えます。

帝国憲法の欠陥は内閣総理大臣の規定がなかったこと だから内閣総理大臣は他の国務大臣を制止できなかった

大日本帝国憲法(明治憲法)の大きな欠陥が1点ありました。それは内閣総理大臣の規定がなかったことです。

今の日本国憲法では、内閣総理大臣は他の国務大臣を独断で任免できたり、最高裁長官を指名、衆議院の解散ができることが明文化されています。今の憲法における内閣総理大臣の権限は、帝国憲法時代の権限よりも強いと言えます。それは、帝国憲法には「内閣総理大臣」自体の規定すらなかったからです。

内閣総理大臣の規定がなかったのは、憲法を作った伊藤博文本人が、自分が初代内閣総理大臣に就任することはわかっていたので、内閣総理大臣を規定する必要性がなかったからです。

当時伊藤博文に行政分野で意見できる人はいませんでした。だから伊藤の言うことなら憲法に根拠がなくても皆伊藤の指示通り動いたわけです。

さらに憲法の規定というのは「権力の暴走」を防止するという重要な機能があります。

ですが伊藤博文は自分自身がそのような「権力の濫用」をやるつもりは毛頭なかったので、内閣総理大臣の権限を制約するような規定も入れなかったわけです。

憲法制定期の人物が生きてるうちはそれでよかったわけです。ですが最後の生き残りである西園寺公望がいなくなり、誰も制止する人物がいなくなった後が問題でした。陸軍大臣などは内閣総理大臣の言うことをきかなくなったわけです。なぜなら内閣総理大臣には陸軍大臣を罷免する権利さえなかったからです。

これが帝国憲法の欠陥であり、陸軍大臣は内閣総理大臣の指揮命令をきかず、天皇の命令だけに従うと居直ったわけです。憲法で内閣総理大臣の権限が明記されていないからです。

このような反省から内閣総理大臣の権限は他の国務大臣より1ランク格上になっています。内閣総理大臣の独断で他の国務大臣を罷免できます。これは戦前の失敗の教訓から、内閣総理大臣の権限を強化して、それを憲法にしっかり明記しているからできていることです。

王様でも憲法と法律で規制されるのが法の支配 今のように天皇の政治介入が状態化しているようでは法の支配どころではない

法の支配は法治主義をさらに進めた概念ですが、法の支配にも法治主義にも採用されているものとして、天皇と言えど憲法と法律で規制されるということは共通しています。

皇室の権限を徹底的に削ぎ落としておかないと、天皇の発言力が国を混乱させてきた歴史があるからです。そして戦前の反省から内閣総理大臣の権限も強化されました。

しかしそのような規定を無力化するようなことが今まさに起こっています。

いったい何のために日本国憲法ではここまで皇室を「象徴」として一切の力を持たせないようにしたのか。それはそのような政治介入が混乱を招くと経験的に知っていたからです。天皇の発言力は大きいわけですから、政治介入を禁止した憲法を無視して今のような政治介入を続けては国政が混乱するのは当然です。

今上天皇の名のもとに内閣の意思決定に介入する前時代的な恐ろしさを2020年を迎えようとしている時代に経験するとは思いませんでした。国会と内閣においては一切天皇の政治介入を許さず政治判断することを貫くべきです。