自民公明与党は野党6党欠席を無視して採決審議続行 野党が「欠席継続」「降伏して審議復帰」どちらに転んでも戦が下手な野党の負け確定

戦というのは振り上げた拳の持って行き場を考えてから行動に移すものですが、どうやら頭の弱い野党6党にはそこまで頭が回らなかったようです。

自民党と公明党は野党が欠席していても委員会の採決や本会議の採決を実施しており、立憲民主党・国民民主党(民進党)・共産党・社民党・自由党といった低所得の負け組国民から支持されている野党6党は為す術がないところまで追い込まれています。

欠席を貫けば麻生財務大臣の辞任に追い込めると思いきや、与党は野党を無視するという選択をしました。

実は自民党に投票できない馬鹿な国民は「野党が自民党を妨害してくれることを期待して」投票しています。つまりこのように麻生おろしや安倍おろしを野党がやってくれることを期待して投票している低所得低学歴の負け組国民が確かに一定数存在しているということです。

しかし野党は結果を出せていません。それどころか野党が欠席してくれてることによって、逆にスムーズに静かな環境で法律が次々に成立しています。

安倍首相や自民党を絶対支持せず全く自民党の票にならない母子家庭ババアを自殺に追い込むために生活保護を引き下げる法律が可決成立したのも最近です。

産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が4月21、22両日に実施した合同世論調査で、一連のセクハラ問題に関して麻生氏が辞任すべきかと尋ねたところ、「辞任の必要はない」が49・8%となり、「辞任すべきだ」の45・6%を上回った。

産経新聞 2018年4月30日 http://www.sankei.com/premium/news/180430/prm1804300010-n1.html

このように安倍嫌いなババアを含めた世論調査でも「麻生大臣の辞任不要」が半数です。

こうなると野党が取る選択肢は2つしかありません。

欠席戦術を諦めてのこのこと国会に戻ってしまうか、あるいはこのまま「麻生が辞任するまで」欠席を貫き通すかです。

欠席戦術を諦めて審議に戻ってしまったら「野党の負け」です。「麻生大臣が辞任するまで欠席する」とホラを吹いておきながら、麻生大臣が辞任してないのに審議に戻ってしまったら野党自ら負けを認めて降伏したことになります。

またこのまま欠席を貫き通しても、世論には支持されないどころか、自民公明の審議だけで法案がスルスルと通過してしまうという非常に好ましい環境になります。五月蝿いゴミがいない静かな環境で審議ができるのは本来の国会の姿であり理想です。

野党というのはかまってもらえないと自殺してしまうメンヘラババアと同じで、野党が一番与党にされたくないことは「無視」です。自民党はここをよく理解して「野党を無視して国会審議を与党だけで進める」選択をしています。

馬鹿なのは野党6党の国会議員ではなく野党6党に投票している低所得の国民

実は野党の国会議員というのは全く悪くありません。彼らは投票してくれた国民のために働いているだけです。

立憲民主党は英国でいう労働党(ホイッグ)です。激務薄給で働く社畜に支持されているのが立憲民主党です。

客観的に見てみると、自民党の国会議員は資産残高で上位独占です。しかも世襲です。さらに自民党は経団連に支持されています。日本医師会なども自民党を支持しています。

逆に立憲民主党や民進党(国民民主党)は連合や労働組合といった負け組団体から支持されています。しかも旧民主党が世襲議員を一掃し、その中で鳩山由紀夫元総理は「鳩山家の世襲だから」という理由で民主党から公認を得られず2012年衆院選で立候補をあきらめ引退したことは有名ですが、世襲を否定するのも貧乏人の発想です。

国会で野党6党がなぜあんな行動をとっているかといえば、彼らが馬鹿だからではありません。彼らに投票している国民があのような行動を望んでいるから、国会議員が馬鹿な行動をしているだけです。

実はあのような欠席戦術や暴力による妨害戦術をみて、立憲民主党に投票している低所得な馬鹿な国民は「よくやってくれてる」と評価しています。自民党に投票してる人からすると「なぜ選挙であんな奴らが当選するのか」と思うのが当然ですが、それは「自民党への暴力を期待している馬鹿な国民が一定数存在している」ことに他なりません。

これは現実社会において仕事に失敗し弾き出されて貧乏になった奴らが成功者の妨害を必死にしたがるのと同じ構図です。

東大でも文科3類出身で大学院博士中退で30歳になっても就職できず別の大学院への入学を繰り返して転々としている低所得者が自民を支持できず熱心に立憲民主党を支持していることは当サイトの記事でも指摘していますが、国会で自民党を妨害する野党というのは、就職で失敗した馬鹿な国民が成功者を妬むのと同じ構図だということです。